タテ社会とヨコ社会ってどう違うの?
日本のタテ社会
皆さんが「タテ社会」を意識し始めたのは、いつごろでしょうか?
私がはっきりと「タテ社会」を意識し始めたのは、中学校入学だったと記憶しています。
きっかけは、園児のころ仲良くしていた1つ年上の子と、中学校で久しぶりに再開したときのことでした。
園児の頃のその彼は明るく、優しい性格でした。
そして、かわいいあだ名もついていました。
いざ、中学校へ入学した私は野球少年だったので、迷わず野球部へ入部すると、1つ上の先輩だった彼を見つけました。
私は彼に再開できたことがうれしく、そして同じ部活動を選んで再開できたことに喜びを感じていました。
しかし、彼はどうやら違ったようすでした。
園児時代のあだ名で呼べる雰囲気はなく、まるで別人のように眼光が鋭くなっていました。
周囲も〇〇先輩と呼ぶので、私もそう呼ぶことが適切なのだと判断し、以後ずっと目下の者という認識を持ち、敬語で接するようになりました。
そして、その後、一度も園児時代の話をすることなく、まるで中学校ではじめて会ったような関係性のまま、結局私が私立の学校へ転校することになり関係は途絶えました。
なぜ中学校からはタテ社会?
この問いに関しては「大人になってから学ぶのではなく、中学生くらいから常識を持てるように」という意見が1つあるでしょう。
つまり、この日本社会における常識が1つテーマになります。
日本の「タテ社会」における常識を考えるうえで参考になるのは、中根千枝さん(1926-)の『タテ社会の人間関係』(1967)です。
この本は、日本的社会の特質を社会人類学の立場から分析したもので、中根さんは日本の集団社会の在り方を「単一社会」の構造として分析しました。
この本のなかで、中根さんは、日本社会は「場」による社会集団が伝統的に根強く、「情緒的な結びつき」による「一体感」を共有することをが特徴にあるとおっしゃっています。
つまり、伝統的に日本社会では、親分が子分の面倒をみてあげるから子分はその恩義を親分に態度として示す必要が存在したようです。
現代の日本社会に翻って考えてみると、業種によっては資格至上主義を取り入れていますし、そもそもたったの数歳年上だからといって、(特殊な業界を除いて)先輩に生活のお世話になるということはごく稀なのではないでしょうか。
私自身はこの点おいて、日本の「タテ社会」の常識に矛盾を感じるのです。
ヨコ社会って?
「タテ社会」は「場」を構成する人間同士の直接的接触が必須であることに加え、一定の組織化や、集団の「身内」意識を固めなければなりませんでした。
それに対し、「ヨコ社会」は資格至上主義的要素が大きく、一定の資格さえ満たせば、その門戸は開放的であるというところにあります。ギルド制とも考えられますね。
わかりやすい例では、年功序列や権威の横行が起こりにくいことがあげられます。
「ヨコ社会」においては皆が同等の権利を有するので、意見対立が起きやすい構図でもあり、能力主義によって報酬が左右されるため、ある種シビアで年功序列は通じないことについては留意する必要があります。
今回はタテ社会・ヨコ社会について、ほんの少しだけ考えてみました。
みなさまの考え方や、意見はどういったものか気になります。
この記事に書いたことは、あくまで1つの考え方ですので、参考としてとどめていただければと思います。